最近の本

学んでいると、あれこれ興味を持った本をついつい買ってしまうのですけど、中古本のサイトで、結構高価な専門書や本もコスパ良く買えちゃったりするので、もっぱら本はそんな買い方をしています。まぁ中にアンダーラインが引いてあったり使用感抜群だったりしますけど。笑

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講義の中で講師が紹介していた、オットーシャーマーのU理論が面白そうだったから読んでみた。

専門書は硬すぎで漫画にしましたけど。笑

 

マサチューセッツ工科大の上級講師の子難しい話しなのかなぁと思っていたけど、田んぼに入って田の草引きをしながら、どうしたら薬を使わずに田の草を抑える事が出来るんだろう…と草や土、水温、空気感…稲や草から受ける息吹。そんなものを感じながら試行錯誤している事と共通するなぁと思ったのね。

 

草とか稲とか水とか空気とか、物は言わないから自分が感じるしか無いわけだけど、どんなふうにしたらこいつらと上手くやれるんだろうと。

 

U理論はそれを人間関係や社会システムに当てはめた自己カウンセリングみたいな理論なんかなぁと。

 

人間は物をいうだけ簡単であり難しいと思うけど、閉塞感でガチガチの先が見えない時代にはよりよくするにはどうしたらいいか?という試行錯誤の仕方として、非常に良いモデルだなあという感想でした。

 

世界中に戦争ふっかけてぶっ壊しまくっているくせに、かたやこんな理詰めしているアメリカって国は面白いけど、なんとなくわが国の

 

「和をもって尊しとなす」

 

を徹底的に研究してんじゃないのかーって思ったりしてます。

 

 

 

 

 

何故か激怒してしまったんだよ。

先日、某市のコミュニティバスの乗務。

終点目前の一通の駅前商店街に差し掛かった途端にデモ更新に行先を遮られてしまい、牛歩状態になってしまった。

原水爆禁止云々の文言や憲法9条、某政党の関連団体のプラカードや横断幕を持った集団だったけど、どうやら街宣車が先導しているらしい。

もとより昭和の雰囲気そのまんまの街だから道は狭く、デモ隊がいるとほぼ通行止め、一応警察も伴走してるけど、デモ隊は後ろがどんな状態なのか、気遣う様子は全くない。

 

この状況って如何なもんだろうか?

 

原水爆は反対だし、日本国憲法は聖徳太子の

「和をもって尊しとなす」

からの流れをもつ素晴らしい憲法だと思っている…

 

10分ほどその状況が続いて、きづいたら、デモ隊や警察官に向かってお客を乗せたまま、炎天下でこのバスを待っているお客もいるんだ!なんとかしろ!と怒鳴っていた。

 

警察官は

 

「この先の信号を過ぎたところでデモ隊を左に寄せるからそこでかわしてくれ」

 

と、対応してくれたけどデモ隊の連中はこちらを睨んでいた。

 

 

40年ほど昔、知り合いのツテでその某政党の機関紙の配達のバイトをした事がある。当時も現在と同じく政権とは真逆の立場をとる反対政党で、反原発核兵器や憲法9条に関しては共感できる政党だったし、知り合いに支持者も多かったけど、当時からどこか取り巻きに違和感を感じていたので、支持はしてこなかった。

 

この違和感てなんなのだろうとずっとわからなかったのだか、今回の出来事でこんなふうに考えた。

悔い改めたことがない人たちが過去の戦争や過ちの意味を履き違えたままで正論をかざし、権利なり正当性を主張するからなのではないかと。

 

最近、ジェンダー関係も主張してるようだが、もとより解釈が微妙だったりするし、取り巻きもジェンダー関係を都合よく解釈したまま主張するから支持されないのも当然か。

 

と。

 

それにしても怒ると言うのは嫌なものだ。

 

それに尽きる。

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田んぼはもうすぐ出穂だなぁ…

 

 

 

 

応援続けてます。

いすみ鉄道と小湊鐵道は外房線の大原駅から上総中野駅を介して内房線の五井駅まで房総半島の横断鉄道を形成しています。

いすみ鉄道は先代のカリスマ社長在任の頃にイベントに参加した事をきっかけに応援するようになりましたが、2024年10月に発生した脱線事故により2026年7月現在も運休が続いています。

復旧に向けての工事は進んでいるようですが、私の周りではネガティブな話も結構耳にします。

正直なところ、鉄道が地域の交通機関としての役割を担う時代はとうの昔に終わっていて、この先経営に必要な資金も莫大で、そんなもんに金を突っ込むのはナンセンスだ。廃線にすべきではないか?という意見が地元でも広がっているようです。

 

勿論正論だと思います。

 

いすみ鉄道を応援していますから、そんな話を振られる事も多いのですが、こう答える事にしています。

 

廃線にするのは簡単ですよ、いすみ鉄道が廃止届を出せばよいのです。国の承認もいらないから非常に簡単ですよ。

 

と。

 

交通機関に身を置く立場から見ても公共交通機関みたいなビジネスモデルは黙っていても金が溶けて行くから、既に時代遅れだよなぁとすら思います。

 

最近ソーシャルワークの勉強をはじめて、社会資源という言葉に触れる事が多いです。

ふと最近の発信等からこの鉄道は「社会資源」として生き残っていく道を探って行くのはどうなか?と感じています。

 

あくまでも自身の仮説です。

 

鉄道のストレングスは繋がっている事。

この鉄道は行き止まりではなく、JRや小湊鐵道と繋がっていて、房総半島を横断するネットワークを完成させている。

 

認知度は先代のカリスマ社長在任中に構築され、ローカル線が地域の広告塔になりうる事や、普段着の風景が魅力的な商品になり得る事も実証されました…言葉は悪いけど、役目を終えた鉄道もこんな使い方がありますよ。と示してくれたのだと思います。

 

上総中野まで来ている小湊鐵道は、アクアラインの高速バスの花形の会社ですが、本業の鉄道はびっくりするくらい古典的な設備で運行される非電化路線で、タブレット閉塞を復活させて運行本数を増やしたり、古い気動車を使い続け、さらには国鉄型の気動車も最近導入しました。鉄道マニアは喜ぶ施策ですが、在来型が国鉄の気動車に準じており、メンテナンス技術も確立されているから、下手に新型を導入するより、古くても直しながら使い続けていけるだろうという判断があったのだろうと思っています。

また、線路もお世辞にも立派な設備とは言えず、チョックを当てた木製枕木の貧弱なヘロヘロの線路ですが、重量級の国鉄型気動車が十分走れるだけのポテンシャルを持っているのは、あの設備を活かせるだけの高い保線技術が確立されているのではないかと勝手に思っています。

 

同じようなヘロヘロの線路のいすみ鉄道には残念ながらその技術がなかった…

 

それが証拠に、小湊鐵道線はしょっちゅう土砂災害や路盤が流されて、運休したりしますが必ず復旧させています。スコップとツルハシと軌道バイクでとは極端ですが、逆にこの古典的設備と人力なアナログスタイルが、持続可能性を支えているんじゃないかと思います。若い保線職員も育っていると聞いたことがあります。

 

何かの文献で小湊鐵道は五井から上総中野を通り安房小湊を目指したが諸々の問題で計画が頓挫したが、逆にのばさなかったから余計な資金を導入せず、この区間で生き残る事ができている。と読んだことがあります。とても地味だけど実に堅実な経営をされてきたのではないでしょうか?

 

小湊鐵道もまた、素晴らしい観光資源になり得ますし、なっています。

 

小湊鐵道といすみ鉄道と一体的に運営できるような支援して、千葉県の社会資源として活かせるんじゃないかなと考えたりしますけど、地元だけで支援の話をすれば当然お金を出せるはずもなく、要らないと言う方が多いのは至極当然です。ただ、沿線の路線バスを運行してきたのも小湊鐵道ですが、廃止の穴埋めだけでは自身の路線の維持だけで人員はいっぱいでしょうから鉄道代替えができるとも思えません。

現在いすみ鉄道の施設を保有する千葉県としてはどんなふうに考えているのか非常に興味深いです。

先日、いすみ鉄道と小湊鐵道のコラボ企画があり敬意を表して両方のネットショップからポロシャツを購入しました。

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追加で購入しようとしたら既に売り切れていて、意外にも同じような思いと関心を持っている人が多いんだろうと嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田植えから一月

秋ヶ瀬公園の田んぼで耕作し始めて5回目の作付けです。

私の農園は農薬や化学肥料を使わない自然農法というカテゴリーに分類されるかと思いますけど、農薬を使わない分雑草はヒャッハー!ってはえるから(笑)除草は重要な仕事になります。

大変な除草作業をなるべく避けるべく、色んな方法を勉強し試行錯誤していますが、うまくできるところできないところ。田んぼの性格や気象条件など、おおよそ効率化とは無縁ですが、ようやく「稲や雑草の生育」というのがみられるようになってきたかなあと感じています。

うまくいかなかった圃場。

昨シーズンから預かり無農薬で栽培するのは2回目の圃場です。代掻きは2回ですが入水時から藻が発生しており、田植え後の大雨で発生した大量の藻で苗が押し潰されてしまいました。水も引かずに水中ポンプにより排水を行って藻や雑草除去をしています。

だいぶ苗が死んでしまい、悲しいですが今年は収穫は期待できそうにありません。

ただ、生き物は非常に豊富で、カモや白鷺、青鷺がよくきていますし、お玉杓子やカエルの姿は非常に多く、ドジョウも見られました。

ところどころ草(こなぎ)の少ないところを観察してみるとトロトロ層という抑草に効果的な層ができていて、来シーズンの対応が見えてきました。側から見れば大失敗なんでしょうけど、得たものは非常に多く自分の中では結構成功したんじゃないかとすら感じています。

 

でもやはり残念。

反対にうまくいった圃場。こちらは代掻きを3回やっています。とろとろ層は厚く堆積していてこなぎの発生を抑えています。こちらは4回目の作付けになりますが、初めてここまで上手く行きました。

なんとなくですが、ここの土地でのトロトロ層の作り方や出来方の癖みたいなものが掴めてきたかなと感じました。

このままうまく行くといいですね。

 

こまめで田んぼを耕しながら3

今年は雨が多いですね。晩生の大豆を定植しなきゃなんですけど、水浸しで畝立てをしたまま畑に入れずに、苗だけ育ってしまってヤキモキしています。

 

里芋の中耕や秋人参の土づくり、ボカシ肥料の仕込みや早生の枝豆の片付けなんかもやりたいんですけどね、、、、

もみいち農園、早生の枝豆(陽惠)

畑仕事が無理な時も結構やることはあって、主力作業機のホンダこまめのメンテナンスや修理なんかもしなきゃで、不具合のまま騙し騙し使っていたリコイルスターターのアッセンブリもやってみました。素人だからヒヤヒヤしながらもなんとか完了。快適に動くようになりました。

ホンダこまめ F-220

ホームセンターでも購入することのできる小さな耕運機ですが、本当にすごいポテンシャルを持っていますね。構造も簡単でパーツも安価で豊富なので不具合も治しやすいような気がします。この前も書いたけど、とにかく機動力が高いから、少量多品目栽培される方や新規就農者のエントリーにはもってこいなんじゃないでしょうか。

 

こまめで耕す田んぼ

草がよく抑えられている田んぼ。この圃場のみ3回代掻きをしました。いつものようにこまめにカゴ車輪をつけて代かきしています。ここまでできるとこまめの対費用効果は素晴らしいなあといつも思うのです。この調子で育ってくれるといいです。

ソーシャルワークに限らず

福祉の勉強をはじめて2年目の一学期が終わりました。専門科目の内容は重複するところが多いので、うすらぼんやりですが内容が見えてきました。

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最近読み込んでいる本。

ジェネラリストソーシャルワークってわかったようなわかんないようなどこにフォーカスすれば良いのか掴めなくて、それこそうすらぼんやりこんな感じなんかなぁと思っていた事が理路整然と書かれていて、

 

嗚呼、あたまのいい人たちは流石だなぁと。笑

 

気づいた事があって、

 

昔の農村社会やムラの掟、祭りごと、講etc…

しきたりやしがらみ、伝統的にあった仕組みとか、散々壊して来たはずのことだけど、学んでいるソーシャルワークの価値は、壊して来たはずのことそのものの気がしてます。

 

人が生き残っていくための知恵がいつのまにか利益の追求にすり替わったり、何故その仕組みがあるのかの理由を知る前に煙たいし面倒だしって形骸化したまま惰性で続けて嫌がられたまま廃れてしまったり…そんな事の再構築なんでしょうか?

 

学んでいて思うのは、こんがらがった様々な問題の糸をわかりやすく丁寧にほぐして整理していくのが、ソーシャルワークの技術であるなと感じていたりしてます。

 

取り組んでいる農業も一見スペシフィックなものなのかなぁと思うのですが、完全にジェネラリックで、農業はアグリカルチャーって言うくらいだから文化なんですね。ソーシャルワークも農業も、とどのつまりはどっちもみんなと仲良くしないとやっていけないし、お金にならないけど絶対必要だしお金にしたきゃカルチャーじゃなくビジネスにすりゃいい。ただビジネスになればなるほど困ってしまうひと、(ソーシャルワークではクライエントと呼ぶ)が増えるのは現代社会を見て明らかだし、ソーシャルワーカーの仕事が増えるだけという…

 

農業もビジネスにしちゃったからこんなに困っちゃったんじゃないでしょうか?

 

お金が欲しいなら農業やソーシャルワークなんかやらず他に効率よく稼げる業界はたくさんあるからそっちをやるべきだし、金にならん事を今更嘆いてうだうだいうのは、凄く頭が悪いなと本気で思う。だってソーシャルワークも農業も最初から金にはならないから。

 

 

 

高齢者のバス事故で思った。

高齢者ドライバーによる自動車事故が問題視されて、高齢者の運転免許更新制度や返納制度が確立されつつあるのだけど、反対にこの前起きた磐越道でマイクロバスがガードレールに衝突して高校生が車外放出で亡くなった事故や愛知でスイミングスクールの送迎バスが踏切の遮断を冒進した上横断歩道上の歩行者をはねて死亡させた事故。いずれも高齢ドライバーが起こしているが磐越道では免許返納がうながされていたそうだし、愛知では85歳のドライバーによって起こされた。

自身もドライバーの職についているが、年齢や状況を聞いてやはりどうなんだろうと感じている。

自身がハンドルを握って旅客運送を担う乗務員なわけだが、85歳まで同じことができるか?といえば簡単にNOという。今の身体能力でもかなりの負担だと感じるし、55を過ぎてからの身体的な衰えは本気で自覚できるレベルだ。

 

もちろん個人差は大きいと思うし、もっと長くできるよって人も居られると思う。

 

 

ただ、車って人を簡単に殺せる力を持った機械だと思うし、機械の安全性能が格段に向上したとはいえさらに人の命を預かる運転技能っていつまででもできる業務では無いと断言したいと思う。

国の政策として、定年を延長したり高齢者にいつまでも元気で現役で働けるような施策が多く推進されいて、意味年金の支給開始が遅くなった分に合わせて働いてもらいましょうって本音なんだろうけど、自身の仕事などは55歳定年くらいがちょうどいいなんて本気で思ったりもする。現に昔の交通機関て55歳定年に設定されていたところがあったはずで、それには意味があったはずだから。

もちろん自身の生活のことを思えば、いつまでも現役のままの収入が得られる時間が長くなったほうが色んな意味で都合がいいのはその通りだが、どんどん衰えていく身体能力と求められる業務のパフォーマンスがどんどん乖離していくのも事実なわけで、こういう時は

「俺、もう無理っす」

 

って自分で幕引きすることが、一番社会に貢献できることなのかもしれないと考える。

 

安全第一

 

が原理原則だから。

元気な高齢者の話で90過ぎの経営者の話を耳にしたけど、すげーって思う反面この人が今一線で活躍できるのはもうほんの僅かなはずで、この方がついていたポジションがものすごい重要な席であると仮定するとこの方が亡くなった後そこはたちまち崩壊する危うさを持つわけで、まさに砂上の楼閣なんだなと思う。

自分はどう終わりにするか、今から考えている。

先のことはわからないけど「たつ鳥跡を濁さず」が理想ではある。